更に言えば、この臨牀において、心経で足三里が緩む意味も説明不能です。
腕と足ですから、解剖学的に繋がりはありません。
経絡という気の流れが人体を12本流れているのですが、その繋がりをもってしても説明がつきません。
でも1.2本針をしたら異常がなくなりました。
わたしは触診して気づいた反応をベースに治療をするので、このように後から理屈を考えることがよくあります。そこから古典を開くと「なるほど」と思う事もあります。でもこれってこじ付けですね。
今の医学の常識はこの逆になっています。治療として人体に介入するならば、ちゃんとした理屈や理論、科学的な根拠がなくてはならない。そういった考えが支配的です。
私もその理屈は理解できます。正しい気はします。でも。。。。
理が先になるとおかしなことになることも往々にしてあります。
理論どおりに良くなるなら誰も苦労しません。
理論通りにやっているのに治らない場合があるからこそ、探求は終わらないわけです。
その限界を超えていくには理を超えてゆかねばならない。
頭でっかちも困りものですが、勉強している人はまだましな方で、酷いと不勉強がゆえの滅多打ち治療です。
でも、それはこの業界の普通になっているようです。
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