2月は安田無観先生が来福され、吐法の歴史をざっと概観して頂きました。
黄帝内経素問の時代にはあった吐法は次第に廃れていったこと。
それを金代に張子和が古道を遡って再興したこと。
この辺は舘野正美氏の「日本漢方医学における吐方について:江戸時代医学の一様相」にも詳しいです。また、この論文では吐法を継いだ喜多村良宅の臨床の一端も伺えて参考になりました。
〈吐証候法〉では吐方の適応について述べるが、その場合、疾病の根源が〈心胸〉にあって、所謂〈巨里の動〉即ち心尖拍動が上亢して(動機がはげしくなり)〈䊡中〉(胸元)や〈缺盆〉(喉元)にまで至る者が〈宜吐之候〉(吐するに宜しきの候)であり、〈䊡中無動者〉(䊡中に動なき者)には吐方を講じてはならない(喜多村, 1817: 2b–3a)
患者の脈の状態と巨里の動、水分の動を見て吐かせるべきかどうか等を見分けていた視点は面白いです。この事は先月勉強会でとりあげた、杉山真伝流の腹診法と重ね合わせると立体的に見えてくるような感がありました。
なにを吐かせていたのかというと痰飲と食毒ということになります。
あらたな疑問も沸いてきました。
・痰についてもっとも詳しく研究したのは朱丹渓があげられると言えますが、彼の吐法論など聞いたことがありません。痰証に対してどうしていたのだろうか。
・現代中国でも痰症治療に吐法を用いるという話は聞いたことがありません。やはり廃れたままなのかどうか。
今後、研究していきたいです。
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