今はどうかわかりませんが、おそらく日本の食卓では「迷い箸はしないよ」という躾がなされてきたと思います。
それをもじって、我々鍼灸師は「迷い鍼はしないよ」と肝に銘じたい。
勉強会参加者につぼを取らせようとすると、人に見られていることを意識するせいか誰もがみな自身なさげに、または迷いの果てにつぼを取ります。だから時間がかかります。
しかもそうやって取ったツボは、たいていズレています。
たいていは一番最初の直感が正しい。
そう教えてあげても、その通り素直にやれる人は多くありません。ここで素直にできるというのはその人の頭と精神の柔らかさを現わしています。
勉強すれば勉強するほど知識が邪魔をして、迷いは加速していきます。
勉強するなと言いたい訳ではありません。知識を積み重ることで増す、思考と直観の激しい摩擦を体感しながら、そこを突き抜けていかねばならない。直観は合理性や正解の外に答えを示すことがあるからです。開放系の直感。無限の可能性のなかに開かれた直感です。
私もなにかを判断する時に迷う事はあります。医学的に合理性を以て判断せねばならない場面はあるからです。「この患者さんの不調の陰にはなにかもっと大きな病気が潜んでいるかもしれない」という場面です。こういう場面では医学的知識を基に判断するので、勘を優先することは基本的にありません。
あくまで鍼を打つ段階に至ったのならば、という話です。
迷うならばその前に終わっていなければならない。・・・私がなにか迷っていたら叱ってください(笑)
一度鍼を握ったならば、ツボを取る段階に至ったのならば、そこからは迷いも恐れも捨てて、間髪入れずに電光石火に行わなくてはならない。思考が入りこむ隙を与えてはいけないのです。
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