続きです。
わたしが治療しても全員がよくなるわけではありません。
なかなか変わらない人もいます。
そういう場合色々考えられますが、ひとつに、いろいろとやり過ぎて複雑化しているケースがあります。
自己判断で漢方薬やサプリを飲んでいたりする人もいますし、いくつかの治療院を併用している人も過去にはいました。2つの鍼灸院を交互に受けているという。同時期にです。
あまりいい方向にいかない気がします。
江戸時代にも記録があります。
お殿様のような、手厚い医療を約束された人たちに短命が多いという話があります。その原因は複数あるとおもいますが、ひとつに「医療が手厚すぎた」弊害を指摘する人もいます。
現代の学校教育になれた私たちは、正解はひとつだと思いがちです。
ですが、医療のように人体小宇宙というカオスを扱う領域では特に、複数の正解がありえます。そこに”流派”が生まれる余地があり、つまり突破口も攻め方も複数ありうるということです。
日本からアメリカへ行くのに「西へ行け」という命令と、「東へ行け」という命令があったらどうしますか。どちらも正しいですが、同時に発せられたら混乱するだけです。そしてどこにも辿り着かない。
治療でも同じことがいえる気がします。
お殿様には御典医が複数付くために喧々諤々の議論となったり、がころころ変わったり、攻めるべき時に攻める治療ができなかったりで機を逸する。
治療には効かせ方がありますし、段取りがあります。仕込みや収穫に相当するような時期性もあります。そういった治療システムがあるわけですが、そのシステムをわざわざ自ら崩壊させるような愚を犯さないためには、受ける側にも知恵と作法がいります。
三人寄らば文殊の知恵。
船頭多くして船山に登る。
複数の医者にかかること、情報の多さのメリットもあれば、デメリットもあるわけです。
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