鍼は刺入する方法のひとつに菅針法があります。
管を使って、「トントン」と軽く刺入します。
これを「切皮=皮を切る」と昔の人は表現しました。
実際には「切る」のではなく、表皮細胞のあいだを分け入っていくという感じです。
「皮切り三年」といい、切皮が上手くできるようになるまで三年かかると言われています。
それで本題。昨年の事です。
ある学生さんの切皮の練習台になりました。
ほとんど人に鍼をすることが初めてという学生です。
しかしというべきか、だからというべきか、
それはもう、、、目が覚めるようなピュアで澄んだ切皮でした。
タイミング、角度、強さ、深さ。すべてが完璧。
切皮された瞬間に全身に心地よく響きわたっていく。
練習台になってあげたつもりが、思わず我が身を振り返ってしまうほどの驚きがありました。
一回目は、そんな切皮でした。
2回目の練習
それからしばらくが経ち、再び学生に声を掛けました。
しかし、今度は「鍼を入れよう」という我が生じており、手が硬くなっていました。
というのも実は、鍼は刺そうと思っても簡単には刺せません。深く刺していくのにはそれなりの技術がいります。しかし、そうすると手に力が入ってしまう。(最近のディスポ鍼に技術は要らないのですが、それでも程度があります)
実際、やや強引な痛さがありました。
3回目の練習
構えの段階からすでに、こころに恐れが生じているのが分かりました。
手も肩にも力が入り、間も悪くなっている。
家で母親を使って練習した時、痛がられたようです。
前回の様子をみて、「そうだろうな」とは思いました。
残念ながらはじめの様な澄んだ波動が感じられませんでした。
ですが、そんなものです。ここからが長い修練の始まりです。
私もかつてそうでした。
これから死ぬほど鍛錬した先に、再びピュアな鍼が打てる日が来るでしょう。
でもそれよりは自分の事。
いま、わたしの鍼がどうなのか。
自問自答するいい機会を頂きました。
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