こういった、名前はなくともよく効くツボのことを横田先生は生きたツボと呼んだのだと思います。
先生は「生きたツボをとれ」と常々仰られていましたが、生きたツボが取れると小さな刺激でも大きな効果を出すことができます。しかし、そのためには繊細な感覚がないとできません。そう言うとよく手先の繊細さのことかと思う人がいますが、必ずしもそう限定したものとはいえません。
というのも、手先の器用さでは自信があった私でも初めはほとんど分からなかったからです。「ここにツボがある」と先生に指南して頂いてもまったく分からない。オカルト的に感じて早々に断念する人たちもいましたが、その気持ちは理解できます。私には強い信念があったので粘れましたが、でなければ私も断念していたかもしれません。
手先で分かることも多いので修練すべき重要事項ですが、手先だけでは分からないこともあり、このことはそれをよく表しています。生きたツボはどういう訳か手先だけで分かるものではないというのが私の理解で、教えてすぐできるものではありません。できたような気がすることはあります。それでもそこそこ効いてしまうのでややこしいというか深いというか。
真に習得するためには脳内革命みたいなものを起こしておく必要があり、そのためにこそ古典が大切なのです。ただお勉強するために古典を読むのではない。脳内革命を促すために読むのです。そこを知らない、というか勘違いしている人は多いというのが私の考えです。
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